「右肘左膝交互に見て」でお馴染みの2900というお笑いコンビで、歌う側の八十島さんという芸人さんと千原ジュニアさんの対談をYouTubeで見た。八十島さんの精神が壊れてしまった体験エピソードを淡々と語っていた。芸人さんらしく少し面白おかしく。
なるほど、きっと当時は本人と周りの大事な人たちも辛い経験だっただろうに、時間が経つと笑うことができて、仕事にもなるのかと感心と、どこか勇気づけられもした。
私は心身ともに健康に過ごしてきた。物心ついてからは入院したこともない。罪を犯したことはない。前科はない。人間社会の中で、当たり前のように今日までたくさんの人に助けられて、普通に生活している。
動画の彼とは全然違う自分だが、見終わったときと同じ気持ちを以前にも感じたことがある。異国の空の下で読んだドストエフスキー「罪と罰」だ。
涼しい夏の日、快晴とスコール、そんな日が重なると思い出す憂鬱。同じ失敗は繰り返すまいと、失敗しては改善を意識して生きてきても、それでも同じような失敗を繰り返すものだ。仕事でもプライベートでも。
雲一つない青空に、気持ちが軽くなった子どもの頃には戻れない。鬼ごっこ、ブランコだけで時間を忘れて遊べた日々が懐かしい。いや、雨が好きなわけではない。ときに雨が優しく感じられる日もある。
孤独は苦ではなかった。一人は好きだった。でも、人嫌いではない。でも、人付き合いは得意ではない。子どもの頃は、断るのが下手だった母を理解できなかったけれど、私はそんな母に似た。頼まれると、断るのが下手だ。仕事でもプライベートでも。そして、ミスにつながる。
ミスにならなくても、どうやら負荷がかかっている。私がストレスを感じていない場合、実は大事な人に負荷がかかっている。それに気づかない。私のメンタルがやられていなくても、私は余裕なく必死な状態ということなのかもしれない。
事実と真実が同じであるとは限らない。私の真実が通用しないことがある。事実を並べられて、どんなに合理性を問われても、私は最善を尽くし、私の正義を以て示したものが私の真実だ。捻じ曲げることはできない。
信念は邪魔をすることもあるから、頑固であるつもりはない。始めたことをやり抜くことがどんなにしんどいかも知っている。そんな流派ではない。トライアンドエラーの中で活路を見出すべきだ。でも、その大前提には、信頼が必要だ。
光の中で会うことは簡単なことじゃない。闇の中にいる自分を救うのが精一杯だ。光の中で待っていてくれたと思った人は別の闇に落ちていることもある。夢中で這い上がっても虚しいのは
今日もユウブログに来ていただき、ありがとうございます。
「君といた日々は宝物そのもの」