エーリッヒフロムの「愛するということ」を読み返した。数年前に初めて読んだが、実際にできているかはさておき、納得できる内容で、目から鱗というよりは言語化されていたことに感心した。愛とは、技術だ。
愛するって難しいなと思ってきた。フロムは、誰もが簡単に浸れる感情ではなく、成熟している人の技だということを言っている。「愛するということ」は、ノウハウ本ではなく勘違いしがちなマインドをリセットしてくれる内容だ。
愛というのは特定の誰かに対する感情ではない。人がどうかかわるかを決める態度であり、性格の方向性だという。愛にもあらゆるタイプがあるが、基本的な愛は”友愛”であると。友愛は、他人に対する責任、配慮、尊重のことである。
友愛はひとりに限定されない愛であるのに対して、恋愛は排他的であり、すべての人に向けられるものではない。もっとも誤解されやすい愛の形であると。
友愛と恋愛の境が微妙である。ただ友愛を基にして恋愛が成るのだと解釈している。だからこそ、ときに厄介だと思う。愛は本質的には、意志にもとづいた行為であるべきだという。自分の人生を相手の人生に賭けようという決断の行為。それ故に、恋愛における与える愛は、自分が自立していないと実に不誠実な愛になる。
友愛においては、すべての人を同じように愛する。恋愛においては、一部の人に見られるが必ずしも全員には見られないような、個人的な要素が重要になるともいい、結論が少し曖昧だ。無責任ではない意志が、恋愛における愛ということか。
決意の理由は、個人的なものでいいと思う。自分にしか見えていない魅力だ。ただ困ったことに自分が成熟していても、相手が成熟していないと与えることも受け取ることも難しい。友愛の気持ちで接したところ、相手にとって特別な意志を決意させて、傷つき傷つけられることもある。その逆もあるだろう。
私が海外で暮らしていたとき、日常的に「I LOVE YOU」という挨拶をよく聞いた。恋人に向けてだけではなく、友達や師弟関係に似た仲で。日本語ではまず使わないから、日本人は私も含めて愛の技術に励むことに、他国と比べて時間をかけていない気がした。
「愛している」対象と意味には、浅くも深く、広く局所的で、言葉にならない粋な術だ。どうにもまだ私は下手で。
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暗い闇の果てに、青い月の光。