レポート

日本筋ジストロフィー協会に寄付【体験談】

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ユウ
ユウ

寄付をすることは良いこと。

それは知っているけれど、
意識の高い人やお金持ちの人の
ステータスみたいなもので

ハードルが高い。

以前の私はそう思っていました。

そんな私が
なぜ寄付をするのか、
寄付をするキッカケ、
寄付を通して学んだこと

お伝えしたいと思います。

寄付に対して抱いていた以前の認識

先日、私が実家に帰省した際に、
母と旅行についての話題になりました。

「日本人は現地にお金を落とすのにモノがないとダメだよね。」

お土産とか、目に見える形でお金との交換がないと、

「損をしている」という感覚ではないけれど、
「他に使い道があるよね」と思ってしまいがちだと。

そんな話の流れで、私が母に

「でも最近、寄付はじめたよ。」

と告げたら、
母は、ひどく驚いていました。

おそらく私も家族や親しい友人から
「寄付をしている」と言われたら、
驚いて「なんで?」と聞かずにはいられなかったかもしれません。

私はこれまで寄付に対して、
「お金持ちがすること」
「お金に余裕があるから出来ること。」

そんな認識が強かったです。

私はお金に余裕があるわけではないし、余分なお金があるなら、
より生活を豊かにする何かに使うか、使わずに貯金するか、
そのくらいに思っていました。

寄付をはじめたキッカケ

私は臨床工学技士という職務を通じて、
病院で特に人工呼吸器を使用する
筋ジス患者さんと接しています。

筋ジストロフィーは、
身体の筋肉が壊れやすく、再生されにくいという症状をもつ、たくさんの疾患の総称
です。
平成27年7月から、指定難病となっています。
我が国の筋ジストロフィーの患者数は、約25,400人(推計)です。
(引用元:一般社団法人日本筋ジストロフィー協会)

未だ治療法は確立されていません。
対症療法としてステロイド治療や
人工呼吸器を用いた呼吸の補助を行います。

私の現在の職場のルーティン業務は、
人工呼吸器が患者さんの呼吸に合っているのか、
機器が異常ないか、安全に使用されているか、
等々を日々点検しています。

人工呼吸器そのものだけでなく、
周辺の消耗品やインターフェースが患者さんにとって
より適当なものがないのか、
もっと煩わしさが軽減できないかも考えます。

もしくは、
むしろ健常人にとっても必要な呼吸法となるように
有効な設定の調節ができないのか、
個人的に突き詰めたい事があります。

ただ、やっぱり、
患者さんにとって、一番良いことは
人工呼吸器が要らなくなることです。

どう考えても、
機械の呼吸と完璧にはシンクロできませんし、
専用のマスクを付けるのは煩わしいです。
無くて済むなら当然のように無い方がいい。

疾患の性質上、慢性的に
必要だから装着しているだけで、
好んで生活に取り入れたい機械ではないです。

筋ジストロフィーという病が、
治ることが一番良いに決まっています。

しかし、
筋ジストロフィーが根治することは、
少なくとも私だけの力ではどうにもなりません。

治療法の研究を支援するほかありません。

私は、私にできることをやるだけです。
臨床工学技士として求められる役割を果たすことです。

「チーム医療」という言葉がありますが、
医療の資格法の中で、
初めてチーム医療の概念が盛り込まれたのが、
臨床工学技士
だと訊いております。

チーム医療は
医師や看護師、
臨床検査技師、放射線技師、
理学療法士、作業療法士、臨床心理士…等など

各分野の専門家だけではなく、
もちろん患者さんご自身、
医療機器メーカーなど企業の方々も、
関わるすべてが含まれています。

そして、
病院の外で貢献している
様々な活動をされている非営利団体の方々も
チームの一員だと思っています。

私は、ある意味、同志として、
日本筋ジストロフィー協会に寄付をすることにしました。

寄付をする私の感覚

寄付をしている人はそれぞれ理由があって
高尚な想いをもった人もいると思います。

ただ、私が寄付をする気持ちは、
褒められるような立派なものではなくて、

好きなミュージシャンのファンクラブに、入会するくらいの感覚です。
もしくは、お参りに行ってお賽銭を入れる感覚に近いです。

同志として寄付をはじめたものの、
それほど意識は高くないです。

人には個々に果たすべき役割があると思っています。
私は分相応にやることをしっかり行います。

寄付先団体の方々は、
彼らは彼らにしかできないことを行っているはずです。

問題について共感はするので、活動の応援、願い、祈りはしますが、
実務を手伝うとか何か働きかけるようなことはしません。
見返りや恩恵を求めてもいません。

なので、
偽善行為ではないですし、
お金に余裕があるから始めたことでもないです。

寄付は、
人格者がする事ではなく、
高額でないといけない事でもないと思います。

寄付は、
活動目的が達成される願いであり、
活動する団体の応援です。

ミュージシャンのFC会員特典のように、
コンサートチケットが先行申し込みできたり、
物理的なメリットはないかもしれませんが、

共感する問題や課題が
寄付する団体の活動で解決されたら、
きっと自分の事のように嬉しいです。

それまでの道のりで、
資金の一部を支援できたことを
むしろ光栄に感じると思います。

寄付とは何か、私の解釈

寄付は、お金の使い方の一つであって、
正しいとか間違いはないとは思います。

ただし、特別に良いことや
ボランティア活動とも異なる
と思います。

寄付とは何かを問われたら、
私はこう説明します。

小銭が財布の中に貯まると重いし、
むしろ財布に入らないから、
なんとなくコンビニの募金箱に入れる…

というような、
「たまには良いことするか。」
「何かの為になるだろう。」
そんな、なんとなく行うことではなくて、

共感する問題の解決に取り組んでいる団体に、
労力として一緒に活動するのではなく、
自分の代わりに活動してくれているという

感謝の意を表したプレゼントです。

だから無理して行うことでもないと思います。

日本は、チップの文化がないので、
自発的にお金を支払うことに馴染みがないため、
感覚的に抵抗がある人がいるのかもしれません。

私はそう思います。

寄付を通して夢を託すことを知る

寄付を募っている団体は多様だと思います。
資金力自体が問題であれば、
お金が集まればすぐ実現できることでしょう。

難病の研究や環境破壊などについては、
一筋縄ではいかないかもしれません。

自分が生きている間に実現しないかもしれません。
しかし、一歩ずつでも
確実に前に進んでいます

そもそも、各個人、
誰もがすべての夢を叶えられず
この世を去るのだと思います。

ただし、
みんな誰でも、人生を振り返ると、
たくさんの夢を叶えてきているはずです。

それは夢と呼ばなかった目標であったり
とても低いハードルだったかもしれないけれども
誰もが夢を叶え続けて今日までを生きて
また新しい夢に向かって生きています。

その繰り返しの人生を歩んでいるから
誰もが夢の途中で人生を終えます。

人間は誰もが平等にいつか死ぬように、
私もいつか必ず死ぬ。

その死に際に、
叶えられなかった夢に愁ふことなく、

「夢のバトンを次の走者に託すことも、
夢を叶える方法の一つである。」

寄付を通して(勝手に)学びました。

さいごに

私が生きている間に
筋ジストロフィーの治療法が
確立されるかわかりませんが、

いつか必ず実現する日が来ます。
この夢は誰もが望んでいることだからです。
みんなから応援される夢は必ず叶います。

素晴らしい夢を共有し、
叶える一員であること、
私は誇りに思います。

I appreciate your reading the article all the way through.

  • この記事を書いた人

ユウ

人工呼吸管理が好きな臨床工学技士(ME; CE)。十数年の職務経験で、民間病院から県立、国立病院機構の急性期から慢性期医療に従事。東日本大震災の衝撃から一念発起し、米国呼吸療法士プログラムの受けるべく留学するも資金繰りに失敗して途中帰国。でも求めた知識より一緒に過ごしたグローバルかつ多職種の友達が何よりの誇り。趣味は写真。マイブームは禅。医療・健康など少しでも役に立つ発信を心掛けます。よろしくお願いいたします。

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