筋ジス病棟のある病院に勤めて1年目、趣味の話が合う患者さんと出会った。
疾患や慢性期のNPPVがどんな領域か模索していたが、そんなことを忘れて話せたし、むしろ特別に気にすることないと教えてくれた。 振り返ればその後の患者さんとの関わり方としての手本となってくれた気がする。
彼はGLAYが好きだった。 GLAYは言わずと知れた日本を代表するロックバンドだ。90年代の音楽業界絶頂のシーンを駆け抜けて、20万人ライブといわれた幕張での野外コンサートは単独アーティストでの有料コンサート観客動員数の世界記録を更新した。
私も幼少の頃からずっと聴いている。世代ど真ん中かというとそうでもないが今もずっと聴いている。ロックとポップス、激しさと優しさ、先進さと古風さ、相反する要素をうまく両立させた歌を歌えるのが彼らの強みではないかと思う。その個性が私には心地よいし、多くのファンに支持されるところ、そう感じているのは私だけではないだろう。
ともあれ、彼とGLAYの話で盛り上がった。 人工呼吸器の使用中点検の時くらいではある。週2回約5分。いや、点検自体は終わっても話はしていただろう笑
GLAYの話は尽きなかった。 サボ、…患者さんとの積極的なコミュニケーションに割いていた時間は永遠ではなかった。
筋ジスとは急に状態が崩れるものかと実感した。 毎日を何も変化なく過ごしているものでも時間は休まず前に進んでいる。 誰にも着実に死に向かっていることを思い知らされる。
ある週明け、個室に移っていた。熱発が続いていて会話があまり成立しなかった。それでも回復の兆しは伺えた。 YouTubeでGLAYのライブ映像を見ていた。
「そしてこれからも」
今も記憶している。まだ死にたくないと弱音を吐きながら最後まで生きようとした生き様を。
まだ身体に自信があって活動的だった頃、パートナーの方とのことを思い出されていた。別れることでしか愛せなかったそう。私には理解の及ぶところではなかったけれど、人生の残り灯に気づくとき、人は思い出を振り返るのかと知った。
人生を豊かにするのはお金でも名誉でもなくて、思い出だ。欲しかった物を買っても物は劣化し、やがては飽きる。価値観が変わる。すると自分にとっての物の価値が下がるだろう。
しかし思い出は無形ゆえに飽きないし価値はむしろ上がるだろう。価値観は変わる。辛かったり苦しかったりした記憶も嫌な部分はすっかり削ぎ落されて、同じ苦労はしまいとよりよい方法で壁を乗り越える勇気になる。
だからこそ後々にそれらの思い出の価値が上がる。良い思い出は自己肯定感を上げ、また良い思い出を生む。そんな私という他の誰でもない者の一生が歴史の一部となって後世に繋がる。
「与える愛 受け取る愛 そのひとつひとつと そしてこれからもずっと旅は続いてくんだろう」
引用:「そして、これからも」GLAY
私に思い出の価値を教えてくれた病棟長Kは、今も私の思い出の1つとして命を輝かせている。
I appreciate your reading the article all the way through.