札幌で「エクモカー」が導入されたという記事を読んでビックリした。人工呼吸器、エコーやレントゲンも搭載することができて、簡単な手術もできるとあって「動く集中治療室」ともよぶらしい。
救急車からドクターカー、ドクターヘリになって、次はいわば移動式の病院だ。コロナ禍による需要があるから作られたものに間違いないけれど、世間的に認められるかたちで一度経験してしまうと、今度も全く無くなることはないだろう。
高度な医療機器が小型化されて、簡易的な操作でも精度よく稼働すれば、どんどん可能性は広がる。とりあえず次はエクモヘリになるだろうか。そうなれば、臨床工学技士がメンテナンスではなく臨床としてヘリに同乗する日が来るだろう。
東日本大震災にしろ新型コロナウイルスにしろ、後に教科書にのるような大事態の中を自分が生きている間に経験するなんて想像できていなかった。10年に一度、世界的な大ニュースが起きると言われるけれど、やっぱり想像できない。
震災の10年前はリーマンショックだ。世界経済、自然災害、感染症ときて、10年後は何が起きるだろうか。
私は東北の震災をきっかけにして呼吸療法をもっと勉強したいと思った。応援で現場に行った先輩が帰ってきて言った言葉は「何もできなかった」だった。トリアージが行われて、心外のオペや心カテをやるわけではなく、透析も断水してできない。持って行ったパラパックという簡易的な呼吸補助器を少しだけ使ったと言った。
病院の中ではあまり必要とされてこなかったスキルだった。オンコールに極力早く対応できるように、オペではセカンドに、カテではフレミングがすぐできるよう要求された。ICUでの業務はその次だった。呼吸療法は学生の頃から好きだったが、いまいちとっつきにくく、すごく奥が深いと感じていた。
東日本大震災は、災害自体もちろん衝撃だったが、私自身も人生を変える転機になった。
震災以降は結果的に急性期から慢性期の人工呼吸管理の業務に従事することになった。新型コロナで臨床工学技士に求められたのはエクモだ。エクモはどこの病院にもあるわけではないし、症例数は大きな病院に偏る。
臨床工学技士って、隙間産業だな。コロナの影響を受けて震災のときの私のように衝撃をくらった臨床工学技士はいるだろうと思う。どんな道に進むのだろうか。私はもう集中治療はお腹いっぱいである。
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