臨床工学技士 エッセイ

古の道がアスファルトになる利便性の残酷さ

エッセイの呼吸81

なんでもない日に何も持たずに散歩する日がある。毎日決まった時間に同じくらいの時間を歩けたらと思うけれど、なかなかそうもいかずに習慣化されているわけではない。

先日、地元の最寄り駅に行った。高校生のときは通学で毎日利用していた。その頃の記憶の景色と少しずつ変わっているところがあって、間違え探しをする感覚がなんだか楽しかった。バス停前の地面のタイルの色が赤くなっていたり、改札近くの自動販売機の並びに冷凍餃子が増えていた。

駅前には新しいアパートが建設中で、はす向かいには訪問看護ステーションが出来ていた。時代が着実に流れているんだなぁと思いながら、ふと最近よく訪看施設が増えたなとも気づいた。看護とリハビリを一緒に提供している施設もけっこう見かける。

全国で歯医者さんがコンビニの数より多いというのは有名だが、ゆくゆくはその数に近づくんじゃないかと思える。まだまだでしょうが、総合病院の中に入っていた薬局が院外の歩ける距離に出た感覚で、在宅訪問部隊が特化して組織するのが浸透していくのだろう。

あくまで私的な考えだが、たくさん医療職があるけれど、その中でも専門分野がわかれているもので、それぞれ少しずつ経験を積んだ方がいいと思う。医師でいうところの研修医制度のように、グループ病院間の異動ではなく、医局制度に近いが提携がなくても経験値を積むための機会があった方がいいと思う。

看護師さんやリハさんの世界は専門外で詳しくはないけれど、臨床工学技士はまだまだ歴史が浅いこともあって融通が利かないところがある気がする。同業者なのに話が通じないことも多々ある。

ただ、眼科医が心臓外科の手術ができないように、職務経験を積むにつれて「自分の仕事じゃない」という場面に出くわす。そのときに上手く連携するシステムが必要だ。仲間内での意見交換や提携グループ間での研修なり人員応援的なことはよくあるけれども、もっと一般化されたもの、表現が難しいけれど、糸井重里さんの言葉借りれば「ポピュラーソング」を作るということが必要だと思う。

私が慢性期医療で経験したのは教科書上のセオリーにはない部分だった。かつ授業で教えてもらったことは基礎的なことと応用においても研究数やエビデンスも多い急性期寄りの知識の方が圧倒的に多かった。

今は養成校で習う内容も大きく変わっているとは思うが、在宅では患者さんの個別化が要求される故に、あえて通常の第二候補を選ぶこともあるし、従来のやり方を改める場面もある。ブラッシュアップするには多様なアイデアと行動力が試される。

そのときに、慢性期だけをやり続けていると基礎を忘れてしまうのか、基本を実技をもって積み上げてこなかったからか、むしろ個別化の最適化が崩れてしまうような光景を見ることがある。基礎からズレた他の人と同じというのが基準になってしまっている場面に出くわす。

人生経験も積み重なっていけば、自分という個の色が出てくる。その色がきれいであっても汚れていても色が濃くなる。専門外や他の業界の中に入ってみると、自分が積み上げたことが通用しなくて、色が濃くなっても透明になってしまう。

透明人間になると、自分がいなくてもいい存在に思えてしまって辛いかもしれないけれど、その機会は自分の強みの色に気づいたり、薄れた色や新たな色に塗り替えるチャンスだ。だから、もっとフレキシブルに個々のキャリアがデザインしやすいシステムがあってほしいと思う。

地域によっては支援する体制が上手く機能しているところもあるみたいで、私はまだあまり詳しくないので、粛々と調べながら幅広く知識を深めていきたいと考えている。

今日もユウブログに来ていただき、ありがとうございます。
臨床工学技士という職業に出会った気持ちを大切にしなきゃと思っています。

  • この記事を書いた人

ユウ

人工呼吸管理が好きな臨床工学技士(ME; CE)。十数年の職務経験で、民間病院から県立、国立病院機構の急性期から慢性期医療に従事。東日本大震災の衝撃から一念発起し、米国呼吸療法士プログラムの受けるべく留学するも資金繰りに失敗して途中帰国。でも求めた知識より一緒に過ごしたグローバルかつ多職種の友達が何よりの誇り。趣味は写真。マイブームはNFT。医療・健康など少しでも役に立つ発信を心掛けます。よろしくお願いいたします。

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