久しぶりに東野圭吾さん原作の「麒麟の翼」の映画を観た。本も持っていて読んだこともある。原作の方がいい、みたいな意見って必ず挙がるし、私も別の作品で思ってしまうところがあるけれど、この作品は映像も好きだ。
というのも、映像化に意識もおいて書かれた作品なのかなと個人的には思っている。映画が公開される前にドラマ化された作品の「新参者」もその感じがした。新参者は連載作品で一話完結型で連続ドラマに向いていたし、人情もので映像ばえもしやすい内容だ。それは見事に再現されていたと思う。
どちらの作品も東野圭吾さんの作品にしては、以前より簡潔的な文章で読みやすい。加賀恭一郎シリーズは好きですべて読んでいるが、その中でもエンタメ要素が強くて面白い。実際に舞台となっている日本橋付近を散策してみたくなる。
映像「麒麟の翼」が公開されたとき、劇場に足を運んで観た。そして友人と日本橋七福神めぐりをした。とくに作中に出てくる意図の願掛けをしたわけではないが、もともとお参りが好きだったためだ。
儀式的なものや形式的なものって、そのこと自体は本質でなかったりするけれど、入口として意味を持ったりする。それがすべてではないけれど、仕切りやケジメ、きっかけとなる。人には意外とそれが重要だ。
あいさつやお辞儀も型の一つだと思う。まったく無いと嫌悪感や不信感を抱くことがあるし、ナチュラルにできると会話の糸口となったり、言葉のテンションによって伝わる感情がみえたりする。自分が言動することでその日の課題や仕事に取り組める合図ともなる。
日本橋の麒麟像は架空の生物で、本来は翼がない。ここから日本中へ道が続いていくように願い込められた勇気の翼だ。打ちのめされたり、絶望するときにも、思い出す初めの一歩の象徴。
あの日の友人とは以降交流が途絶えた。元気にしているだろうか。雪のない年の瀬なら尚さらに思い出してしまった。別に連絡なんてくれなくていい。ただ思い出してみただけだ。
最近のけいごりん作品は全然読めてないな。また自分のドラマも広がる作品に出会えればと。
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ガリレオシリーズの方が映像ばえはするか。