エッセイ

ワンカップ大関

エッセイの呼吸35

ごく普通に車を走らせていると、背中を丸くしてコンクリートブロックに腰かけた人を見かけた。少し歩けば団地があって、古い商店街もある道の先。でもその場所には原っぱというか何もない地点だ。

大事そうに手の中に包まれていたのはワンカップ大関。自宅に帰るまでに我慢できなかったのだろう。いや、我慢とかする気なく、家までの帰路でちょいちょい飲みながら、ちょっと腰を下ろして休憩して、歩いては飲んでをするのが心地よいのかもしれない。

もう年末。一年ってあっという間だ。年越しのカウントダウンライブに兄弟で行って、帰りに初詣をしようと地元の神社へ最寄り駅からの道を缶チューハイ片手に歩いたのが懐かしい。いま振り返れば、不思議とライブの内容より二人で歩いた道が印象強く記憶に残っている。

思い出、幸せ、作ろうと思って作れるものかもしれない。けれど、計算にない装飾が思わぬ彩りをみせることがある。高い酒でなくても、華やかな空間でなくても、一人だとしても、幸せな瞬間って日常にある。

交差点に差し掛かる度にこのまま進むべきか、曲がるべきか迷ったり、立ち止まって戻ることもある。それでも時間というのはもとには戻らなくて、人は生きることを止められない。また歩き出す。

今日もユウブログに来ていただき、ありがとうございます。
エモくてイタイのと、ノスタルジックやブルースとの差って難しいな。

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