エッセイ

そして、これからも

エッセイの呼吸30

大事なことは失って初めて気づく、こともあれば分かっていたことで改めて痛感することもある。仕事においては、実際の業務内容より人間関係の方が大事だと思う。だからこそ、私は前の職場を離れたけれど、私にとっては、やっぱりもっと携わっていたかった仕事だったなと思う。

たしかに煩わしい業務も一部あったし、向いてないなと思う業務もあった。けれど、在宅医療と人工呼吸器は好きだったんだなと思う。今は少し離れてしまった。まったくの畑違いというわけではないけれど、私にとって胸を打つような仕事ではない気がしている。

もちろんやっていることはなくてはならない仕事だし、働いている人は素晴らしい。けれど、実際にやってみて新鮮さはないし、没頭できない自分に憂鬱な気分になったりする。わがままだけれど、得意なことをやるべきだし、Win-Winであることって思っているより難しいなと思う。

ふと音楽の趣味の合う筋ジス患者さんが亡くなったときのことを思い出す。死に際に弱音を吐いていた彼は、YouTubeでこれからを考える曲を聴いていた。いつもは大部屋右奥ベッドで笑っている顔が、個室に一人で「死にたくない」って涙を溢した。忘れられない。

いつまでも誰かの記憶に残る生き様って素敵だ。誰もがドラマチックなストーリーを持っているものだと思う。彼は筋ジスを患ったことの葛藤を私に教えてくれた。そのことが私にとって代えがたい体験だった。正しいも間違いもない選択があることや汎用性とパーソナライズのバランスを取ることといった、例えがたいけれど非常に考えさせられた。

教科書に載っていない経験が本当の学びだ。カルテに載っていないところに患者さんの人生がある。そこに職種としての面白さを見出していた。高度な機器の操作ができるようになりたかったわけじゃないし、高名な意義のある研究をしたかったわけでもない。向上心より好奇心に従ってここまできた。

でも患者さんの悩みを聞くことしかできなかった。職務以外のことは特に力になれなかった。でも、ずっと型通りでは足りない気がして、その都度に解答を出して、まぁこれでいいかと腑に落としても、また悩む。

どうして誰もが平穏に暮らせる世の中にならないのだろうか。小学生の頃、真剣に社会問題について考えをまとめたら、先生は優秀である評価をくれたけど、教師はそれ以上の何もしなかった。私は少し冷めた目で見ていたけれど、自分が大人になったら世渡りをするだけで精一杯だ。

平凡で何者でもないけど、まだ背筋を伸ばして仕事をしたい。

今日もユウブログに来ていただき、ありがとうございます。
離れることしかできなかった。現実って残酷だ。何に情熱的であるべきかを必死に探している。

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