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初心を忘れずに【臨工国試】

エッセイの呼吸108

先日の3月6日は、今年度の臨床工学技士の国家試験だった。

毎年3月の第一日曜日だったか。私が試験を受けたのはもう10年以上前だが、私のときから変わっていないかな。試験会場は青山学院大学だった。

表参道から歩いた。試験本番の日であったか、下見に行ってみたときだったか、どっちだったか忘れてしまったが、青学帰りに友達とすぐ近くにある小田和正さんのショップに寄ったことは覚えている。

「言葉にできない」のオルゴールを買った。小田和正さんの声は、もはや楽器だ。コアなファンではないけれど、あの美しい声は好きだ。特別にファンではなくても「名曲だ」「いい歌声だ」と、人を感動させることが素晴らしい。

きっとどんな仕事でも、その本質は変わらないのではないだろうか。エンタメでなくとも人を感動させる仕事ぶりがある。伝わる人には伝わる。中途半端では伝わるものも伝わらないし、集中したところで独りよがりでも伝わらない。難しい塩梅だ。

発明王のエジソンは、幼少の頃は落第生だったそうだ。自宅の納屋に火を放って火事を起こした話は有名だ。火がどんなはたらきをするかを知りたいと実験感覚での行動だった。

少なくとも当時の常識からはズレた少年だったが、身近な味方がいて、伸び伸びと好奇心を探求することができて、後々に天才と呼ばれるようになった。少しずつ応援してくれる人が増えていって、一つずつ夢を叶えていった。

初めの頃から人を感動させるようなことは天才でもできない。日々の暮らしに革命をもたらす発明も、原点は放火という場合によっては罪になる行為だった。だからといって、犯罪でも何でも許されるわけではない。ただ、マスを刺すことは一朝一夕にはいかないということだ。

臨床工学技士という資格を取得すること自体も簡単ではなかったかもしれない。しかし、仕事をしてからの方がもっと大変だった。どの道で生きてゆくのかが自由であり、どの道にも絶対的な正解がない。

一般企業のように、利益を上げるというようなわかりやすい成功もない。急性期であれば患者さんが治って退院すれば、それが成果といえるのかもしれない。でも、そうしたら失敗がえぐすぎる。命を扱っているからだ。

ビジネスの世界では、成功するには最速で失敗して、失敗から学んで成功するまで失敗すること、諦めないことが成功するための方法なんだという。

医療の場合は、根治するまで治療を続けることをいうのだろうか。失敗していいのだろうか。上司に言われたとおりにやって失敗したら、人のせいにしようがしまいが、とり返しのつかない失敗にならないか、社会人一年目の頃は仕事を覚えること、新しい業務に挑戦することが恐怖だった。

二年目からは必死だった。そこまで地方の病院ではなかったが、緊急で心外のオペや心カテに対応する人員が十分ではなかったから、いつまでも臆病ではいられなかった。振り返れば私にとってはよかったのかもしれないが、忙しかった。プライベートなんてなかった。

やがて災害が起きて、どんどん自分の進路がかわっていった。あっという間に10年が過ぎたが、未だに感動させるような仕事ぶりにはほど遠い。それでも一歩ずつ前に進んでいると信じたい。

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  • この記事を書いた人

ユウ

人工呼吸管理が好きな臨床工学技士(ME; CE)。十数年の職務経験で、民間病院から県立、国立病院機構の急性期から慢性期医療に従事。東日本大震災の衝撃から一念発起し、米国呼吸療法士プログラムの受けるべく留学するも資金繰りに失敗して途中帰国。でも求めた知識より一緒に過ごしたグローバルかつ多職種の友達が何よりの誇り。趣味は写真。マイブームはNFT。医療・健康など少しでも役に立つ発信を心掛けます。よろしくお願いいたします。

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